なぜ傾聴なのか?
ひきこもり
ピアサポーター、
心理カウンセラー
佐藤 拝
言葉を吞み込むという表現があります。日々、生活しているとこれは言わない方がいいと思うこともありましょう。でも、言葉イコール、私の言葉、私自身です。ですから、私自身を呑み込み続けることになり、そうするとやがて心や体に不調が生じます。
どうしてでしょうか。
確かに自分を押し殺せば、無難に日常がうまくいく(ように見える)ことはあります。
でも、これは恐ろしいことです。
この副反応として世界はどんどん、私をおろそかにしていくためです。
元来、人間は表現をする生き物です。その人の「私」を表現することで、世界を私らしく、私に必要なまでに「在りたい居場所にしていける」わけです。
そこで言葉を呑み込むという不自然な選択ばかりしていると、「自分らしさをないがしろにすること」と同じになるのです。自分をないがしろにしても、誰も助けてくれません。例え、かつて自分を押し殺して他者を有利にしたとしても、その他者が返礼することはほとんどないのです。
自分を表現することはいわば、この世界に自らを発信して働きかけるのですから、リスクがゼロとまではいかないまでも、私が、私を健康にします。その世界の中でこそ、私、いや、私たちは自身を満たすことができるのです。
でも、自己を表現することには自分だけで出来ることと出来ないことがあります。
後者にはしっかり、私に対して素朴な関心を向けて真摯に聴ける存在もまた必要なのです。話の腰を折らずに私の声や言葉に集中して聴いて貰う、これを「傾聴」というわけですが、これによって体内に呑み込んだ思いが目の前に現れ、過度な我慢を減らしたり、うまくいかないことをうまく運ぶための「思いの整理ができる」のです。
私を活かすのは他の誰でもない、私自身です。
傾聴は、そんな私のかたわらで私を手助けしてくれます。
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