傾聴と表現、発声
ひきこもり
ピアサポーター、
心理カウンセラー
佐藤 拝
人間とは表現をする生き物です。そのツールとしての発声があります。赤ちゃんを思い出してみてください。まだ、言葉の話せない赤ちゃんも泣き声や、喉を鳴らすクーイングによって自分を伝え、訴えます。もし、これらが出来なかったらどうなるでしょう。
親は、赤ちゃんの空腹や喉の渇き、排泄に気づけません。よって、赤ちゃんは栄養や水分を摂取出来ずにやせ細り、水分不足となります。また、おむつの中ではお尻が荒れて痛みに苦しみます。そして、最悪なことには赤ちゃんは亡くなってしまうことでしょう。
つまり、表現をすることは自分の命をつなぐことなのです。これは赤ちゃんに限ったことではありません。大人になった私たちも、言葉、トーン、表情等を声に乗せることで、周囲の人間と連携が取れます。或いは怪我をすれば、その痛みを否応にでも声にせざるを得なくなるので治療につながりやすくなります。
更に述べるなら、大人はもっと複雑な世界の中を生きていますから、自らの獲得してきた表現の豊富さによっても、我が身の居心地の良し悪し、安心安全と危険、信頼と不信の人間関係等々、様々な状況に身を置きます。
しかし、この表現という機能も生き物の法則にのっとって存在しています。
例えば、これまでは自分にとって有効に働いていたそれが、この世界のシステム、状況の変遷によって自分を苦しめる手段として劣化することもよくある展開なのです。
その場合は表現をもう一度見つめ直し、修正をする必要があります。ここで、傾聴が必要になってくることがあります。傾聴とはただ、話を聞くことではありません。
まず、傾聴者という第三者が身に着けてきた心のあり方と手法によって、行き詰った、今風に言えば、詰んでしまった人の鏡となり、その人自身が新しい変化、気づきを得るための一助となります。この際、これまでの表現力に詰んでしまった人における、自らの発声が必要となってきます。声という様々なヒントを含んだツールでもって、話の聴き手と話し手の間に、これまでの自分がどう生きづらくなっているのか、どうしたらそのトンネルを抜けられるのか、その答えが、話し手の眼前にありありとイメージできるようになっていくのです。もちろん、これは一両日中に成し遂げられることではありません。根気良い、傾聴者を前にした話しての発声が必要となってきます。
このように傾聴には表現や発声が加わることで、人生の生き直しにつながる可能性が高まっていくのです。
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